729 名前:川 ゚ -゚)彼女はそこにいたようです:2008/01/17(木) 23:39:27.43 ID:+TgXhPnhO

絵描きなのか?という問いに彼女はいつも首を横に振って答えた。

川 ゚ -゚)「そんな高尚なものじゃないよ私は」

たまにどうしても描きたくなると言っていた。
部屋中に乱雑に散らばるスケッチブック。
鉛筆だけで無造作に描かれたもの、鮮やかな油彩のもの、
優しい色鉛筆で描かれたもの、サインペンで描き殴られたもの。
風景画、抽象画、人物画、空想画。
コラージュ、トレース、スプラッシング、マーブリング。

それこそありとあらゆる種類の絵、画、色が乱雑にスケッチブックに閉じ込められていた。

川 ゚ -゚)「君の色は深い青だな。青褐というやつだ」

私は爛れた葡萄茶色だ。
彼女は人に対して色をみる。



731 名前:川 ゚ -゚)彼女はそこにいたようです:2008/01/17(木) 23:42:51.18 ID:+TgXhPnhO

ただ知っている人間でなければ色は付かないらしい。
一度スクランブル交差点で人波が何色に見えるか聞いたことがある。

川 ゚ -゚)「黒だよ。赤の他人じゃない。黒の他人さ」

「真っ黒なのか?」

川 ゚ -゚)「いや、黒の中に色がうねっている」

それは何色なんだろう。
残念ながら俺にはテレパスの類は備わっていないので彼女と感覚を共有することは出来ない。
それがいったい視覚なのか第六感というやつなのかすらわからないが
とにかく残念ながら共有することは出来なかった。

だからその埋め合わせのように俺は彼女の世界を知りたがり、
彼女は出来うる限りの言葉を操って答えた。

川 ゚ -゚)「君にとって世界とはなんだ?」



732 名前:川 ゚ -゚)彼女はそこにいたようです:2008/01/17(木) 23:43:31.20 ID:+TgXhPnhO

彼女が問い返してくることもあった。
それは大抵彼女のアパートで差し込んで来る西陽に俺が目を細めている時だった。

川 ゚ -゚)「私にとって世界は」

その先を聞いてはいけない気がしてこの時だけは彼女の言葉を止めた。

「俺にとって世界は暫定的に君と空だよ」

俺はその頃無職だった。
だんだん減っていく生きる糧に目をつむり、ふらふらと歩いていた。
知人もいなくなり家族もいなくなり、ふらふら歩いていた。

彼女はその頃俺が唯一会話していた人間だった。



733 名前:川 ゚ -゚)彼女はそこにいたようです:2008/01/17(木) 23:44:21.66 ID:+TgXhPnhO

出会ったきっかけはない。
雑踏の中でいきなり話しかけられた。

川 ゚ -゚)「私の家に来ないか」

その誘いに興味本位で乗り、辿り着いたのはスケッチブックの散らばるアパートだった。
当てもなくふらふら歩いていた俺は次の日から名前と住所しか知らない彼女の家に通った。
家にいる日もあったしいない日もあった。
いる日はそのままアパートに居座って会話し続け、いない日は空を眺めて過ごした。

「俺にとって世界は暫定的に君と空だよ」

川 ゚ -゚)「それは………それは光栄だな」

彼女の一番の笑顔を見たのはその時だった。



735 名前:川 ゚ -゚)彼女はそこにいたようです:2008/01/17(木) 23:45:54.78 ID:+TgXhPnhO

「しかしまあ大量の絵だな」

川 ゚ -゚)「なんとなく書いていたらこうなったんだ」

「見ていいか?」

川 ゚ -゚)「好きにどうぞ」

「そんなに描きたい世界なのか?」

川 ゚ -゚)「生きているから。世界の色は生きているからうらやましい。私も生きた色が欲しいんだ」

「………鉛筆画以外には黒あんま使わないんだな」

川 ゚ -゚)「黒は怖い色だ」

「嫌いなのか?」



736 名前:川 ゚ -゚)彼女はそこにいたようです:2008/01/17(木) 23:46:21.70 ID:+TgXhPnhO


川 ゚ -゚)「いや嫌いではない。ただなんだか根源的に怖いんだ」

「他人が怖い?」

川 ゚ -゚)「いや、どうだろう」

「な訳ないよな。俺に話しかけたんだし」

川 ゚ -゚)「いや君は違った」

「え?」

川 ゚ -゚)「君は黒の他人の列の中で最初から青褐だったよ」



738 名前:川 ゚ -゚)彼女はそこにいたようです:2008/01/17(木) 23:48:13.39 ID:+TgXhPnhO

その瞬間時が止まった。本棚にもたれかかっている彼女をじっと見つめる。

触れたい。

初めてそう感じた。
今まで指一本触れたこと無かった彼女に唐突に触れたくなった。


川 ゚ -゚)「どうかしたか?」


結局俺は触れなかった。
理由はわからない。
ただ、なんとなく無防備な彼女には触れてはいけなかった。

薄々彼女がどうやって生きていたか知っていたからかもしれない。
出掛ける前には綺麗に事務的に化粧をする彼女。
綺麗な肌で綺麗な顔で綺麗なスタイルの彼女。
お金には困っていなかった彼女。



だが彼女は綺麗なままだった。
だから俺は自分の手で彼女の心の中まで汚すことは出来ないと思った。



740 名前:川 ゚ -゚)彼女はそこにいたようです:2008/01/17(木) 23:50:28.08 ID:+TgXhPnhO

「…………あの絵は」

一枚だけスケッチブックから抜かれて壁にピンで止められている絵を指差した。
筆のような筆致で荒野に石柱(どう見ても陰茎だ)の横に少女が立っている。
少し反ったソレの影に少女が太陽を逃れているようにも見えた。
少女の周りだけ鮮やかな躑躅色(ツツジイロ)がついている。

川 ゚ -゚)「ああ。あれは」

彼女は立って壁から絵を外した。

川 ゚ -゚)「自画像だ」

「君は葡萄茶色じゃなかったのか?」

川 ゚ -゚)「理想を描いてみたのさ」

「きみは」

川 ゚ -゚)「なんだ?」

この先は言うべきでは無かったのかもしれない。

「君はその画より綺麗だよ」



742 名前:川 ゚ -゚)彼女はそこにいたようです:2008/01/17(木) 23:53:45.25 ID:+TgXhPnhO

その次の日に彼女は失踪した。
自画像と大量のスケッチブックと書き置きを残して消えた。

書き置きにはくだらないことしか書いてなかった。
引っ越すだけだから心配するな、とか荷物は多いから一部置いていく、とか。
彼女の書いた文字を見るのは初めてだった。

俺は空き地でスケッチブックを燃やした。
理由はわからない。
そうすべきだと思った。
彼女はもう帰って来ないし俺に会うことも無い。
じゃなかったら書き置きにあんなことは書かない。



743 名前:川 ゚ -゚)彼女はそこにいたようです:2008/01/17(木) 23:54:15.79 ID:+TgXhPnhO


川 ゚ -゚)『私の世界は君だった。君は私を見てくれていた。
     君は私を大切にしてくれていた。事実はどうあれ
     私はそう思った。だからそれが真実だ。
     だから、だから君はいっとう幸せになるといい』




あんなことは書かない。






744 名前:川 ゚ -゚)彼女はそこにいたようです:2008/01/17(木) 23:54:59.75 ID:+TgXhPnhO

彼女のことは最後まで名前しか知らなかった。
本当は名前すら知らなかったのかもしれない。
でも多分知らなかったと思っているのは俺だけできっとたくさん知っていたんだろう。
俺にそれが認識出来ないだけで。

最後まで燃やせなかった彼女の自画像は今も机の引き出しにある。




クーは今何をしているんだろう。




いっとう幸せになるといい。
有り得ないと知りつつ俺はそう願っている。



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